(2008/12/01)
昨今、眠れないと訴える人たちが増えているのは、なぜだろう? “眠る”とは、一体どういうことだろうか? そんなことを考えるのも私の仕事の一部であり、結構楽しみながら考えていることがよくあります。 人が眠れないと表現するのは、眠っているか、眠っていないかハッキリ認識していない半覚醒状態のときも多く、このときは一種の瞑想状態ともいえます。(大抵は浅いノンレム睡眠に入っている)
床についてバタンと眠れることだけが、よい眠りなのではなく、私はこの瞑想状態(半覚醒状態)も、時代と人間の進化にともなった現代の眠りといってもよいのではないかと思うのです。
この状態を“何もしていない時間”と捉えると苦痛に感じるかもしれませんが、“何もしないことをする時間”として選択したときに、自分がただ存在している、その自分の価値を見いだす機会としての時間ともいえるのではないかと思います。
実は、これは自分自身の体験でもあります。 私は自分を観察したり、洞察するのが習慣づいていて、何か出来事が起きて自分がそのことに自動的に反応しているとき、具体的に何に反応しているのかを探求します。
以前、ある3日間のプログラムに参加しているとき、宿題として「今晩眠りにつくとき、あなた自身に“愛と慈しみ”をもって、あなた自身を寝かしつけてあげてください」と言われました。
それを実行しようとしたとき、自分に違和感があることに気づき、この違和感の元は何だろうと、深く自分を観ていきました。そしてフッと出てきたのは、何と!
『眠っている自分なんて、価値がない』
というものでした。
自分の潜在意識ではそんなことをささやいていたことに、本当にビックリしました。何かをすることによって、実績や成果を出して自分の価値をはかっていたため、何もせずに眠っている自分に愛や承認を与えることが、できなかったのです。
眠るときには、「自分の身体に感謝しましょう」とか、「一日のよいことを思い出しましょう」なんて言っていた私ですから、愕然としました。それまで言っていた耳触りのいい言葉は頭で考え出したことで、真の自分自身とは結びついていなかったのです。
その自分を発見したら、人の価値は生産性の高さやどんな実績をあげたかにあるだけではなく、自分や他の人々の存在自体に価値があるのだということを見いだせるようになりました。
『ただ、存在していることに価値がある』
眠りにつくときの自分に向って、練習してみてください。
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